マルキーニョ
2016/08/28
ブラジルフットサル史を代表する名手のひとりであり、海外で最も成功したブラジル人選手のひとり。
本名はマルコ・アウレリオ・ドス・サントス。小さなマルコという意味でマルキーニョというスポーツ名がついた。
1974年10月7日生まれ、サンパウロ(ブラジル)出身。
歳上の兄と近所でサッカーを始めた。いつも歳上の兄についていき、ボールを蹴っていたという。サッカーか、フットサルかを選ばなくてはいけない時にフットサルチームの練習スケジュールが午後で、勉学を続けながらできるのでフットサルを選んだ。
マルキーニョの兄は弟よりもうまかったようで今でも「俺も続けていれば、お前よりも活躍できたのに」と言われるそうだ。
1996年からカルロス・バルボーザでプロ選手としてキャリアをスタートさせた。1999年にウーブラ、2000年にバスコ・ダ・ガマ、そして2001年に古巣のカルロス・バルボーザに復帰。その間に2度のリーグ制覇をなし遂げている。
2001年冬の移籍市場でスペインリーグの名門、インテルに入団。インテルでは入団して半年でさっそくスペインリーグ王者に輝いた。インテルではその後、2010−2011シーズンまでプレー。リーグ戦4連覇を達成するなどスーパーカップ、スペインカップ、UEFAフットサルカップ、インターコンチネンタルカップなど制覇。勝ち取れるタイトルは全て手にした。個人でも2007-2008シーズンにスペインリーグ最優秀ピヴォを受賞している。
マルキーニョは小柄だが、その高いスキルと緩急のあるドリブルで相手ディフェンスを翻弄し、次々にチームに決定機をもたらすチャンスメーカーとして活躍。世界選抜の陣容を誇るインテルの中で彼は攻撃にアクセントを加えることができる代えのきかない選手だった。
ブラジル代表ではスペインに渡る前に何度かプレー。スペインに渡ってからは当時、海外のクラブに所属する選手は代表に召集しないという慣例があり、召集されなかった。マルキーニョは世界最高峰と言われるスペインリーグで大活躍しながらも2004年世界選手権台湾大会にはブラジル代表に召集されなかった。テレビ解説者として世界選手権を見ていた彼はあとに「奇妙な気分だった」と当時を振り返っている。
マルキーニョのセレソンでの転機はペセブラジル代表監督就任と同時に訪れた。ペセは海外組と国内組みという2つのチームで親善試合をこなし、チーム力を高めた。マルキーニョは海外組のチームの一員としてペセ監督の信頼を勝ちとると、2007年パンアメリカーノ(全米選手権)に出場。レニージオ、シュマイケルと故障者が続出する中、ファルカンと共に攻撃の軸として活躍。ブラジル代表を金メダルに導いた。
2008年自国開催のワールドカップではクラブとは役割が違う攻撃的なアラとして活躍。セレソンの世界王座奪取に貢献した。決勝のスペイン戦。ブラジルの先制点はマルキーニョのコーナーキックがスペイン代表のボルハに当たり、生まれている。またPK戦ではブラジルの1番手としてペナルティスポットに立ち、クラブチームの同僚、ルイス・アマド相手に見事にシュートを決めている。
マルキーニョはクラブでも、そして代表でも全てを勝ち取った。
2010−2011シーズン後、彼は11年在籍したインテルを退団し、Fリーグの名古屋オーシャンズに入団。24試合で15得点を決めて、名古屋オーシャンズのリーグ5連覇に貢献。シーズン開幕前のオーシャンアリーナカップも勝ち取っている。
そして2012年3月16日、PUMA CUP 2012(第17回全日本フットサル選手権大会)準々決勝バサジィ大分戦で3-7で敗れた後に自身の現役引退を発表した。
みんなから愛された"マルコ"
先日スペインカップ前にブラジル代表、そしてインテルでマルキーニョと同僚だったガブリエルが「マルコは日本でどうしてる?リーグ王者になったんだよね」と言っていた。ブラジル代表監督のマルコスも、キャプテンのヴィニシウスも会うと必ずマルキーニョの近況を聞いてくる。みんなから"マルコ"とファーストネームで呼ばれるマルキーニョはそれほどみんなから慕われている。
インテルの練習を取材する。インテルの練習中、マルキーニョはいつもムードメーカーだった。冗談を言ったり、プレーでおどけて見せたり。プレーはもちろん、その実績も偉大だけど、全くそういうところを感じさせない。誰にでもオープンで明るい。赤いユニフォームを着たマルキーニョは1度も見たことはないけど、きっと名古屋でもそんな風にみんなから尊敬され、親しまれる選手だったのではないだろうか。
昨年マルキーニョがインテル退団会見をした時、クラブでも代表でも遠征ではいつもマルキーニョと同部屋だったシュマイケルが目を赤くして、涙を流していた。普段、ピッチ外では全く感情を表に出さないシュマイケルが涙を見せていたことがとても印象に残っている。シュマイケルにとって、マルキーニョはかけがえのない友人なのだろう。
マルキーニョはその会見で涙を見せながらも「ルイス(・アマド)にはよく怒鳴られて、口論したけど、もう叫ばれることもないし」と冗談を交えて、最後は湿っぽい雰囲気の会見を明るくしようとしていた。マルキーニョの人柄が出ていた会見だった。
マルキーニョは偉大な選手だったし、誰からも好かれる人物だ。
マルキーニョのあの緩急のあるドリブルがもうピッチでは見られないと思うと寂しい。彼の決断は尊重するが僕はもっと見ていたかった。