UEFAフットサル欧州選手権
2016/08/28
欧州選手権は2シーズンに1度行われる欧州ナンバー1の代表チームを決める大会だ。アジア選手権と同様に2年に1度本大会が行われるが、ワールドカップ出場権がかかっているわけではない。あくまで欧州ナンバー1を決める大会として行われる。また本大会の出場権を懸けて予選も各地で行われる。
欧州選手権は1996年に初めて開催され、開催国のスペインが優勝している。スペインはこれまでに6度の優勝、イタリアが2度、ロシアが1度優勝している。
シーズン | 優勝国 | 開催国 |
---|---|---|
1995-1996 | スペイン | スペイン |
1998-1999 | ロシア | スペイン |
2000-2001 | スペイン | ロシア |
2002-2003 | イタリア | イタリア |
2004-2005 | スペイン | チェコ |
2007 | スペイン | ポルトガル |
2009-2010 | スペイン | ハンガリー |
2011-2012 | スペイン | クロアチア |
2013-2014 | イタリア | ベルギー |
1996年 スペインのビセンティン
スペインの歴代史上最高の選手は誰か? そう問いかけた時に必ず名前が挙がるのがこのビセンティンだ。「彼はスペクタクルだ、もう偉大としかいいようがない」とカステジョンの人々はよくこう言う。彼はカステジョン、そしてエルポソに所属し、活躍した元スペイン代表選手だ。
ビセンティンはアラ-ピヴォとして活躍。1996年はまさに彼のシーズンだった。このシーズンにスペインではワールドカップと欧州選手権が行われ、彼は両大会の決勝で得点を奪っている。
特に欧州選手権は決勝のロシア戦でビセンティンが4得点を決めて、5-3でスペインを史上初めて欧州王者へと導いた。
1999年 "皇帝"エレメンコ
ロシアを欧州初優勝させた最大の立役者はコンスタンティン・エレメンコだった。エレメンコは生涯で、UEFAの大会を17試合戦い、44得点を記録している。疑いなくロシア史上最高の選手であり、点取り屋だ。欧州最高の点取り屋といっても過言ではないだろう。
1996年の欧州選手権決勝ではエレメンコが2得点を決めたが、スペインに敗れている。しかし、2シーズン後に彼らはきっちりリベンジを果たす。前大会と同カードになった1999年の欧州選手権決勝戦。エレメンコが決勝で1ゴールを決めるなど試合は3-3の同点のままPK戦へ。PK戦を4-2で制したロシアが初優勝を飾った。エレメンコは大会最優秀選手に選出されている。
エレメンコは現役引退後もロシアのフットサル界の発展に貢献。ディナモ・モスクワの会長だった2007年には彼のチームはロシアのクラブ史上初めてUEFAフットサルカップを制覇している。
2010年3月18日、友人たちとフットサルのベテランリーグでプレーをしていたエレメンコは突然ピッチ上で倒れ、心臓発作のため亡くなった。彼が現役引退を決意したのも、心臓に問題を抱えていたからだった。
2003年 バカロの1発とフォーリアの個人技
2003年、イタリアが母国開催の欧州選手権を制し、史上初めて欧州王者の座を勝ち取った。イタリア国籍を持つブラジル人がメンバーのほとんどを占めたアズーリは準決勝でスペインと対戦。太っちょのストライカー、フォーリアの2得点で勝ち上がると、決勝でウクライナ相手にバカロがフリーキックから強烈な一撃を叩き込み、1-0で勝利。唯一と言えるイタリア人選手、メロンのような体型のゴレイロ、アンジェリーニの好守も光った。
ほとんどがブラジル人のこの代表チームは国民に愛されていないと言われるが、イタリア南部ナポリ郊外の田舎町にある会場は準決勝、決勝には収容人数7,000人以上の観衆が詰めかけ、自国の偉業に酔いしれた。
ちなみに優勝監督となったヌッコリーニはそのフットサルの実績が買われ、2008年のワールドカップ後の2009年2月にサッカーチームの第2監督に就任している。
2005年 世界最高の"選手"ルイス・アマド
2005年の欧州選手権では史上初めて、ゴレイロの選手が大会MVPに選出された。2004年のワールドカップを制したスペインは世界王者の勢いそのままに欧州王者へと一気に階段を駆け上った。そんなチームの中でゴレイロとして安定したセーブを披露したスペイン代表のルイス・アマドがMVPを獲得。
元ブラジル代表監督のペセは「状況を変えることができる選手。彼は世界最高のゴレイロではないんだ。世界最高の選手なんだ」とルイス・アマドを手放しに讃えていたことを僕はよく覚えている。
2004年のワールドカップでもブラジルをPK戦で破るなど好守でスペインの連覇に貢献。記者投票により大会MVPはブラジル代表のファルカンに決まったが、本当のMVPはルイス・アマドだったと当時、台湾でスペイン人記者たちは嘆いていた。彼らは怒ったようにこう言っていたことをよく覚えている。
「ゴレイロがどれだけこのスポーツにおいて大切か、みんな知らないんだ」
ルイス・アマドは翌年の欧州選手権では正当に評価された。
2007年 リカルジーニョのオーバーヘッドとスペインの冷静さ
ポルトガルの美しい港町ポルト郊外のゴンドマールはリカルジーニョの出身地。2007年ポルトガル大会は彼のための大会になるはずだった。
準決勝のスペイン戦でのオーバーヘッドキックは今後、何年も語り継がれる偉大なゴールだった。ゴール右サイドにいたリカルジーニョはベンフィカでも盟友のペドロ・コスタの対角線のループパスをそのままダイレクトでオーバーヘッド。そのシュートはスペインのゴールを守るルイス・アマドでも止めることができなかった。スペクタクルな地元出身者のゴールに場内は爆発する。
アウェーで0-2の劣勢。しかし、スペインはスペインだった。代表監督に就任して1カ月のベナンシオがすぐさまタイムアウトをとり、作戦ボードでパワープレーを指示。タイムアップまで残りわずか、そして大ブーイング。しかしスペインは何事もなかったように冷静に2点を決めて、土壇場で同点とする。そしてPK戦ではルイス・アマドがわかっていたかのようにポルトガルのシュートをセーブし、開催国の夢を打ち砕く。
試合後、スペイン代表のダニエルはミックスゾーンでこう言っていた。
「PK戦になったら勝ったと思っていたよ。なぜなら僕らにはルイス(・アマド)がいるからね」
彼が小さく微笑んだ横を肩をがっくりと落としたリカルジーニョが歩く姿を僕はよく覚えている。
リカルジーニョは大会MVPに選出された。欧州選手権で優勝チームからMVPが選出されなかったのは今のところ、この大会だけだ。地元開催でポルトガル人が多かったこともあるが、彼のオーバーヘッドがそれほど偉大だったということだろう。
2010年 ハビ・ロドリゲスの有終の美
2010年、欧州選手権を置き土産にスペイン代表のキャプテン、ハビ・ロドリゲスは代表から退くことを決めていた。同じく2000年ワールドカップの優勝メンバーであるダニエルもそうだった。その両者が決勝戦で得点を奪い、スペインを優勝に導くのだから、「今大会の僕らの完璧な戦いぶりはスキャンダルだろう」とダニエルが大会後に語るのも納得がいく。
スペインは完璧な内容で欧州選手権3連覇をなし遂げた。主役は大会MVPにも選出されたハビ・ロドリゲスだった。準々決勝ロシア戦では思わぬところで注目を浴びる。0-0のまま突入したPK戦。ハビ・ロドリゲスの蹴ったPKはゴール内のポールに当たって、ピッチに跳ね返ってきた。誰が見ても豪快なゴールだったが、審判は何を勘違いしたのか、バーにはじかれたと判断した。ハビ・ロドリゲスは欧州全ての民放のニュースで『世紀の大誤審』と報道されたニュースの主役となった。
そんな珍事が起こったPK戦の末、優勝候補のロシアに勝利したスペインは順調に決勝に駒を進める。決勝のポルトガル戦ではハビ・ロドリゲスはヒールキックで先制点を奪う。結局、スペインはポルトガルに4-2で勝利。表彰台ではキャプテンのハビ・ロドリゲスが代表選手として最後のトロフィーを掲げた。
スペイン代表が開催地のハンガリーから帰国すると多くのメディアが待ち構えていた。そしてスペイン人記者が懇願するようにキャプテンにこう言った。
「ハビ、もっと代表で続けてくれよ」
2012年 セルヒオ・ロサノが決勝で2発、スペイン新時代へ
クロアチアで開催された欧州選手権の決勝にたどり着いたのは、スペインとロシアだった。大会を通じて実力が抜き出ていた2チームによる誰もが待ち望んでいた対戦カードだ。1つのミスが失点につながってもおかしくない。そんな緊迫した決勝で、先制点を奪ったのがロシアだった。後半33分に2008年ワールドカップ得点王プーラがシュートを突き刺した。その後、ロシアは退場者を出したが、無失点で2分間のピンチを切り抜ける。ロシアの勝利か。そう誰もが思った残り34秒、窮地のスペインを救ったのが、セルヒオ・ロサノだった。
各年代の代表を経験し、下部組織でプレーしていた頃から"スペインの将来"と呼ばれていた逸材だが、フル代表の選手として初めて挑む国際大会では苦しんでいた。そのシーズンのスペインリーグでセルヒオ・ロサノは得点ランキング首位を走っていた。しかし、ゴールを期待された23歳は欧州選手権で決勝まで1点も決めていなかった。
そんな若きアタッカーが土壇場で、持ち前の決定力を発揮した。パワープレーから得意の右足で打ったシュートがゴールネットを揺らした。大会初ゴールを決めたセルヒオ・ロサノは、延長戦後半にもキックインからのキケのパスをダイレクトで蹴り込む。今までゴールがなかったことが嘘のようにセルヒオ・ロサノが決勝戦で2得点を奪い、スペインを大会4連覇に導いた。
2000年、2004年のワールドカップ優勝メンバーであり、生きる伝説であるルイス・アマドは、このゲームを最後にスペイン代表を引退した。ルイス・アマドの代表最後のゲームで、セルヒオ・ロサノは2得点を決め、欧州制覇の立役者となった。スペインはその強さを維持しながら、新たな時代へ突入したことを示した大会だった。
2014年 イタリア代表2度目の栄冠
イタリア代表が欧州王者に上り詰めた。2003年以来だ。
イタリアとロシアは2度目の優勝を目指して、決勝の舞台に立った。決勝ではロシアが有利だと思われていた。なぜなら準決勝で大会4連覇中のスペインを破ったからだ。
しかし、タイトルを勝ち取ったのは、試合巧者のイタリアだった。
イタリアには攻撃的なレフティーのムリーロ、攻撃力が高いヴァンペッタ、ピヴォのフォルティーノ、強シュートが得意なサージがいたが、そんなチームを束ねたのが、小柄なキャプテンのガブリエル・リマだった。
ガブリエル・リマは最後尾で仕事をすることが多いが、チャンスとわかれば、ゴール前に顔を出す。決勝戦でもイタリアの2点目となる決定的な得点を奪っている。
イタリアのクラブに在籍してきたガブリエル・リマは、2014-2015シーズンにスペインの強豪エルポソへ移籍。前シーズンを最後に、元スペイン代表キケが引退していたチームは、その後釜としてイタリア代表キャプテンを獲得した。クラブ史に残る偉大なプレーヤーの穴埋めとして、ガブリエル・リマは補強された。プレーのクオリティの高さはもちろん、イタリアをまとめたキャプテンシーがあったからこそ、キケの穴を埋める存在として選ばれたのだ。
UEFAフットサル欧州選手権 過去の大会MVP
欧州選手権における歴代MVPは以下のとおり。
- 1996年 パウロ・ロベルト(スペイン)
- 1999年 エレメンコ(ロシア)
- 2001年 ハビ・サンチェス(スペイン)
- 2003年 バカロ(イタリア)
- 2005年 ルイス・アマド(スペイン)
- 2007年 リカルジーニョ(ポルトガル)
- 2010年 ハビ・ロドリゲス(スペイン)
- 2012年 キケ(スペイン)
- 2014年 ガブリエル・リマ(イタリア)