フットサルスペイン代表

フットサルスペイン代表の試合前整列写真

フットサルの強豪国「スペイン」について、代表チームの歴史を解説しています。

スペインはブラジルと並ぶ大国で、このスポーツの歴史を語る上でイベリア半島にある情熱の国を欠かすことができない。

スペインは1989−1990シーズンから全国リーグ(LNFS)が始まった。国内リーグは多くの優秀な外国人選手が集まるなど世界最高峰のリーグと位置づけられている。

その代表チームも常に世界の強豪だ。1982年に初めての試合を行った。オランダで行われた国際トーナメントでイタリアと戦い、4−2でスペインが勝利している。

スペインは1989年のワールドカップに出場。このオランダで行われたワールドカップはFIFA主催の初めての大会だった。スペインはワールドカップ初戦でサウジアラビアと対戦し、8−2で勝利している。

フットサルスペイン代表がこれまでに獲得した主なタイトルは以下のとおり。

  • ワールドカップ優勝2回(2000、2004)
  • 欧州選手権優勝5回(1996、2001、2005、2007、2010)

ハビエル・ロサノ監督が創り出した勝者の歴史

スペイン代表はフットサルの歴史を変えた。2000年ワールドカップ決勝ブラジルを破り、ブラジル以外の国が初めて世界王者となった。それまでブラジルが独占していた世界王者の座をついに勝ち取ったのだ。

しかも彼らは世界に新たなフットサルのスタイルを提案した。ブラジルは個人技に秀でている選手が多く、その華麗な個人技を全面に押し出すスタイルを世に広めた。スペインはそのブラジルのスタイルに対して、組織力を押し出した独自のスタイルで対抗した。

スペインはゾーンディフェンスとそして個人技には頼らないコレクティブな攻撃を主体とする新たなスタイルを構築した。ブラジルとは違うスペインオリジナルの組織力を主体としたそんなフットサルのスタイルをつくりあげ、チームを勝利に導いたのが現在スペインリーグ会長を務めるハビエル・ロサノだ。

1991年、スペイン代表監督に就任したハビエル・ロサノは当時アマチュア意識が抜けていなかった代表チームにプロ意識と規律を植えつけ、そして代表チームの地位を向上させた。

ピッチ内ではゾーンディフェンスとコレクティブなプレーを構築した。

元ブラジル代表のトビアスは以前、こう語っていた。

ハビエル・ロサノが今のスペインを築き上げたんだ。私は彼が1992年のワールドカップや国際大会で対戦した時に私たちに頻繁に話を聞いていた姿をよく覚えています

ハビエル・ロサノは相手を研究し、そしてコピーではなく、自分たちのアイデンティティとなる独自のスタイルをつくりだしたのだ。ハビエル・ロサノはスペインをワールドカップ2回、欧州選手権3回の優勝に導く。今、スペインは強豪国であり、大国だ。その礎をつくり、強豪国へと変貌させたのはハビエル・ロサノの功績だ。彼がスペインを勝者とした。

そして2007年8月にレアル・マドリードの現場ディレクターのオファーを受けたロサノは師弟関係にあった当時ロベージェを率いていたベナンシオ監督にその代表監督の座を任せ、退任した。

ハビ・ロドリゲス、ハビ・サンチェスら2000年黄金世代

技術的には2000年のチームが1番優れていた

2000年、そして2004年のワールドカップ優勝メンバーであり、今でもスペイン代表として活躍するキケはこう語る。

ブラジルを破り、初めて世界王者となった2000年のスペイン代表。このチームにはハビ・ロドリゲス、ハビ・サンチェス、ダニエル、アデバ、サンティー、リケル、ヘスス・クラベリア、ルイス・アマド、ジョアンとチームには才能溢れる選手が揃っていた。この世代が最も優秀なタレントが揃っていたとキケのように語る人は多い。ロサノは1992年のワールドカップ後、1996年のワールドカップに向けて、大きな若返りを図ったが、それはこのように才能溢れる若手が多くいたから英断できたのだろう。

2000年優勝メンバーは多くの歴史を塗り替えている。2000年の決勝で見事なジャンピングボレーを決めたハビ・サンチェスは史上初めてスペイン代表で100キャップを記録した選手だ。同じく2000年のワールドカップ決勝で2本の第2PKを成功させたハビ・ロドリゲスは2010年の欧州選手権優勝を最後に代表を引退。歴代最多の171試合出場し、これまた歴代最高の99得点を記録している。また彼が参加した国際大会は2008年決勝でPK戦の末、敗れたワールドカップを除いて、すべて優勝している。ハビ・ロドリゲスはまたスペイン人選手として初めてフットサルプラネットが主催する世界最優秀選手を受賞している。

彼ら2人の他にもキケ、ルイス・アマド、ダニエルらスペインフットサルに名を残す名手ばかりが集まっていた。

ベナンシオ監督が継続する勝者の歴史

2007年、ロサノの後を引き継ぎ、スペイン代表監督に就任したのがベナンシオだ。カハ・セゴビアでインターコンチネンタルカップ、リーグ、そしてカップ戦を制し、ロベージェでもスペインカップを制覇するなどクラブレベルではすばらしい結果と仕事をしていた。彼は2007年、ポルトガルのポルトで行われる欧州選手権の1か月前に代表監督に就任。

ロサノがつくったチームを引き継いだ彼は欧州選手権でいきなりスペインを優勝に導いた。そして2008年のワールドカップでもスペインを決勝に導いた。

ベナンシオは親善試合を重ねながら、チームを強化。代表では不思議と運がなかったアルバロ、そしてファンラ、リンらリーグで活躍する若い選手を抜擢し、ハビ・ロドリゲス、キケら経験豊富なメンバーを土台としながらもチームの新陳代謝、そして世代交代を進めながらチームを常に強化し続けている。

2010年の欧州選手権でスペインを優勝に導く。この大会を最後にハビ・ロドリゲス、そしてダニエルが代表から引退。チームの核だった選手は抜けたが、ベナンシオ監督はポラ、アイカルド、ラファ・ウシンなどリーグ戦で活躍する若手を抜擢しながらも結果を残している。2010年にはブラジルで毎年開催される国際フットサル大会『グランプリ』で完全なアウェーの中、決勝でブラジルを破り、優勝を飾っている。

日本代表とスペイン代表

スペインと日本はこれまでに5回対戦しており、スペインが5勝している。初めての対戦は1994年イタリアのミラノで行われた国際トーナメントでスペインが11−2で完勝している。

次に対戦したのは2002年レアル・マドリッド100周年記念国際フットサル大会でスペインは大会初日に日本と対戦し、16−0で完勝。スペインはこの試合、得点よりも失点をしないことを課題として戦い、見事完封勝利をおさめている。当時、原田監督が率いていた日本代表は手も足も出なかった。

2008年3月ブラジル人監督サッポが率いる日本はスペイン遠征を行い、同国代表と2連戦を行い、5−0、3−0という結果で敗れている。日本は強豪国に対し、ディフェンスを固めたが、失点をした。またディフェンスをした後にどうやってカウンターを仕掛けるか、攻撃をするかという戦術の指標、戦略、そしてアイデアが欠けていた。

2010年、スペイン人監督ミゲル・ロドリゴが率いる日本は同国で開催された国際大会において初戦でスペインと対戦。日本はカウンターから木暮賢一郎のパスを高橋健介が決めて、先制点を奪ったが、その後は不幸な判定もあり、PKを決められ、前半のうちに同点にされてしまった。後半は実力差を見せつけられ、スペインに3点を決められ、4-1で敗れたが、ミゲル・ロドリゴ監督就任以降、日本が着実に進化してることを欧州王者に示した試合だった。